イギリス ロンドン ロンドン大火記念塔
- 私の旅行記
- 2019年11月8日
- 読了時間: 8分
更新日:2020年12月28日

こちらは、1666年に起こった「ロンドン大火」を記念した塔「ロンドン大火記念塔(Monument to the Great Fire of London)」です!
「ロンドン大火記念塔」は、建築家「クリストファー=レン」によって設計され、1671年から1677年にかけて古代ギリシャ建築の一つであるドリス式で建設されました。
300年以上の歴史を誇る「ロンドン橋」の北側に位置する記念塔は、現在もたくさんの観光客が訪れています。
そのため記念塔の周辺には、観光客用にたくさんのカフェやレストランが立ち並んでいます。
今回はそんな、「ロンドン大火記念塔」について詳しくご紹介させていただきます!
【歴史・ロンドン大火について】
〖大火〗

「ロンドン大火」は、1666年9月2日午前1時~2時に「プディングレーン」に所在する「トマス・ファリナー」の「パン屋」から発生しました。
「パン屋」のオーブンは閉店後完全に消火されておらず、寝静まったころに熱によって膨張した空気が火花を発生させたことで火災が発生したと伝えられ、大火は1666年9月2日(日曜日)から9月6日(木曜日)まで続き、火災はシティと呼ばれるローマ帝国時代の城壁内にある中世のロンドン市をほとんどを焼きつくしたと伝えられております。

それは「セント・ポール大聖堂」・「ロンドンシティ行政局」の建物以外に、家屋:13,200棟、教会:87棟で、市民80,000人の内70,000人が被害にあいました。
しかし、「ウェストミンスター」の貴族地区、「チャールズ2世」の「ホワイトホール宮殿」、及び郊外のスラム街には被害はありませんでした。
当時の「納税申告書」には「竈(かま)税」の支払人と「竈」の設置場所が書かれています。それによると、「トマス」は5つの「竈」と1つの「オーブン」を「パン屋」ではなく、その裏手の「フィッシュ・ヤード」にある作業所に保有していました。

彼の主な業務が大きな作業所で海軍食糧局向けに「ハードタック(堅パン)」を製造することであり、その脇で庶民にパンを販売していたことが分かります。
当時の英国はオランダと戦争中で、海軍から堅パンの大量注文を受けた作業所は、毎日深夜までフル操業。そんな折「ロンドン大火」が起きました。
カトリック教徒や外国人による放火説が流れ、自白した者が絞首刑に。それを告知する石碑も建てられましたが、その人物が火災当日、ロンドンに不在だったことが処刑後に判明し、事件は迷宮入りします。それから320年後、パン屋職人「ギルド」が「トマス」の作業所の火元不始末が原因だった。と謝罪したことで原因が判明したという経緯があります。

そして、これほどまでの大火災になったのは、当時のロンドンはほとんどの建物は木でできていたため、折からの東風と乾燥した夏と相まって、炎は市全体に広がったことによる延焼です。
延焼の原因は強い東風ですが、「テムズ川沿岸」では荷役の為に沢山の倉庫が点在していました。その倉庫には火薬にタール、油や石炭類などありとあらゆる可燃物が大量に貯蔵されており、この倉庫の延焼が火災を大きくした原因でした。
当時のロンドンでは火災は珍しくなく、市長も火災の第一報を受けた時も何も指示ぜず「またか」と漏らしたそうです。

火災は国王「チャールズ2世」にも詳細が伝わり、延焼を食い止めるために火災の東側の家屋を取り壊す命令が国王「チャールズ2世」から市長に通達されましたが、市長は「逃げ回る市民に何を言っても聞いてくれない。」と諦めたとか。
それもそのはず、街中は火災道具を馬車や荷車に積み込んだ市民が、道路を占拠し火災方向に向かうのもままならない状況だったと言われています。
そんな理由もあり、風が弱まり落ち着いた頃にようやく周辺家屋の取り壊しが始まり、同時に火災も鎮火へと向かい始めました。幸いなことに、大火の間に命を失った人は限られ、 この大火による死者は6人と伝えられておりますが、現在の学者たちはその人数には懐疑的な意見が多いです。
〖復旧〗

当時のロンドンは下水処理は行われず、下水は全てどぶから「テムズ川」へ垂れ流し状態でした。
衛生状態が非常に悪く、火災の前年より流行していた「ペスト」により、ロンドン市民は疎開も考えていた状況でした。1665年の「ペスト」による死者は65,000人と記録されています。
そんな状況でしたが、この大火により「ペスト菌」が消滅し大幅に治まったそうです。「雨降って地固まる」の如く、これも「ロンドン大火」の象徴のひとつでもあります。

「ロンドン大火」が無く、「ペスト」が猛威を振るっていたら、シティだけではなく周辺にも大変な被害を与えていたと考えられており、その場合人々はロンドンを捨て新しい地で生活していたかもしれません。
つまり、イギリスの首都はロンドンではなく他の都市になっていた可能性もあり、この「ロンドン大火」も必要だったのではないか。という考えもあるのです。
そして、鎮火から1週間も経たない9月10日、焼失した「セント・ポール大聖堂」を現在の姿に再建した人物として有名な建築家「クリストファー・レン」は、国王「チャールズ2世」に誰よりも早く再建プランを提出しました。

さらに、「オックスフォード大学」出身の「レン」は、赴任先のローマやパリで都市建築の重要性を感じ、イギリスに帰ってきた時もロンドンを清潔で近代的な都市にしたいと考えていました。そんな中この大火が発生し、これがチャンスだと直ぐに再建プランを提出し国王「チャールズ2世」も了承したのです。
9月13日には「チャールズ2世」より「建築物はレンガまたは石造りであること」・「道路は道幅を広げ真っすぐにすること」・「建築には行政の許可を取得してから着手すること」などの告知がされました。
これらの条文より現在のロンドンの街並みになったのですが、道路拡張は地主により大反対にあい、道路拡張は行われませんでした。

ロンドンの再建の任務は、「再建委員会」として知られる「クリストファー・レン」を含む6人の委員会に与えられ、「レン」は「セント・ポール大聖堂」を含む51の新しい教会、そしてこの「ロンドン大火記念塔(Monument to the Great Fire of London)」を設計しました。
大火より5年後の1671年に建設作業が開始されましたが、オランダとの戦争もあり、再建に必要な石がヨーロッパ大陸より手に入りにくい状態が続いた為、6年かけて建築され1677年に完成。
ロンドンはしばらくの間、木材建築と石膏建築の建物及びレンガ造りの建物のコントラストがあり、この状態は現在のような建築様式の街並みになるには世代を要しましが、今日の石膏又はレンガ建築が見れる街並みへと変貌していきました。

ただし「ギルドホール」・「ヘンリー王子邸」・「聖バーソロミュー大王教会」の入り口など、古い建物のいくつかは残っています。もう一つ「ロンドン大火」の翌年、ロンドンで世界初となる「火災保険」が誕生。
大火の教訓を踏まえて木造建築の方が石・レンガ造よりも保険料が高く設定されるなど現代の保険制度の礎となっています。
「ロンドン大火」は最悪な災害でしたが、こうして歴史を振り返ってみると今のロンドンがあるのは「ロンドン大火」があったからと言っても過言ではありません。
ちなみに、記念塔が建てられた場所は最初に燃え落ちた教会の跡地で、塔の61mの高さは、火元となったプディング通りの「パン屋」までの距離と同じと言われています。
【アクセス】
「ロンドン大火記念塔」は、略して「モニュメント」 とも呼ばれ、「スカイ・ガーデン」から「テムズ川」に向かって歩いていく途中にあります。
「モニュメント駅」と「ロンドンブリッジ」の北岸の間のあたりにあり、「モニュメント駅」を出てすぐ目の前に高さ62mもの巨大な姿を見ることができます。
地下鉄「モニュメント駅」からは徒歩1分、周辺にはカフェやパブがたくさんありますので、休憩したい時にも便利ですね!
【入場料】

大人:£5.00
子供(5~15歳):£2.50
5歳以下:無料
【魅力・見どころ!】

「ロンドン大火記念塔」の見どころは、何と言っても48.7mの高さにある「展望台(パブリックビューイングギャラリー)」です!
311段の螺旋階段を上るとシティを360度見渡せ、「タワーブリッジ」や「セント・ポール大聖堂」まで見ることができます。

階段と展望台は大変狭いためカバンは預けて昇ります。かなりの労力が要求されるため、頑張って展望台を登った方には「登りました」という「証明書」を発行してもらうことができます。

「展望台」は巨大な金網(記念碑が建設されてから少なくとも100年くらいは設置されていませんでした)があり、人々が落下するのを防いでいます。なぜなら「記念塔」からの落下で8人が死亡しているからです(6人が自殺し、事故で2人)。

「ロンドン大火記念塔」は、世界一の高さを誇る「支柱のない自立構造の石塔」で、他に台座の4面には消火活動した国王の「レリーフ」や大火や復興を記した説明やメダルが埋め込まれています。
また、少し離れて最上部を見上げると炎を模した大変美しい金の装飾があり、東に61m離れたところには、火元の「パン屋」があった「プディング・レーン」が今でも残っています。

注意点としては、お水を持っていた方がいいのと、歩きやすい靴・動きやすい服装、女性の方は特に服装には気を付けたほうが良いでしょう。

いかがでしたでしょうか。
300年以上の歴史を誇る「ロンドン大火記念塔」は、「ロンドン大火」は今の街並みとなるきっかけとなった出来事なので、ロンドンの歴史を語る上では、外すことのできない場所と言ってもいいでしょう。
体力に自信のある方は是非とも登頂してみてはいかがでしょうか。きっとロンドン旅行のいい思い出になりますよ!
【基本情報】
ロンドン大火記念塔(Monument to the Great Fire of London)
住所:The Monument, Fish St Hill, London, EC3R 8AH
電話番号:+44 (0) 207 403 3761
Email:themonument@cityoflondon.gov.uk
営業時間:
夏季 : 4~9月 毎日 9:30am - 6:00pm (最終入場 5:30pm)
冬季 : 10~3月 毎日 9:30am - 5:30pm (最終入場 5:00pm)
クローズ:12/24~26
料金:
大人:£5.00
子供(5~15歳):£2.50
5歳以下:無料
タワー・ブリッジとのジョイント・チケット:
大人:£11.00
子供(5~15歳):£5.00
学生(要ID確認):£7.50
シニア(60歳~):£7.50
5歳以下:無料
※ジョイント・チケットはロンドン大火記念塔、タワー・ブリッジのどちらでも購入できます。
事前購入:http://www.themonument.org.uk/Buy-tickets/
アクセス:「モニュメント駅」から徒歩2分
※記事内容は執筆時点のものですので、最新の内容をご確認ください。
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